ECOでん−ライフ 第212号掲載
  弘田 和幸(高知市)
沈黙の春から半世紀余
 レイチェル・カーソンの「沈黙の春」から半世紀余が流れた。
 この本が世界に与えた影響は甚大なものだったと云って過言ではあるまい。
 『シンク・グローバリー、アクト・ローカリー』をスローガンに世界中で環境保護運動が盛り上がったのは記憶に新しい。
 日本でも、戦後復興と経済優先の歪みとして、水俣をはじめ工業地帯の至る所で汚染が進み、光化学スモッグという言葉さえ生まれた。
 今は中国の汚染を笑っているが、決して他人ごとでは無かったことを記憶に留めておくべきだと思う。
 さて、問題は形を変えて環境汚染がいまだに継続していることである。
 遺伝子組み換えや薬剤耐性菌等々である。
 目に見えなくなっただけに、問題がより複雑・深刻になっている。
 取り分け問題なのが『原発』である。
 何故か、『己が作ったものの処理方法を持っていない』という単純明快な理由に尽きる。
 この廃棄物処理の問題を明確にしない限り、如何なる言を弄しても説得力はあり得ない。
 と、断言していいだろう。
 未来の世代に膨大な借金と処理不能な廃棄物を残して逝くだけでよいのかと考える今日この頃である。   



 ※「私はこんなことしてますよ」と、皆さんのエ コのとりくみをご紹介下さい。長文でなくても 結構です、電友会へご連絡ください。