雑感 映画「黒い雨」と原作図書
速人 正光

「黒い雨」ご覧になりましたか?
  OBによる合同旅行が終わり、やっと一息ついたところですが、黒い雨の詳細は後日レポートする旨、書いてありましたので興味のある方はご覧下さい。

  合同旅行の2日目は広島市に泊まりましたが、林立するビル群や街中の公園、ネオンに彩られた景色から「黒い雨」或いは原爆を想い出した方は、恐らく居られなかっただろうなと思いましたが、公園の大きな樹木を見て感じたことは、原爆投下直後の新聞記事では今後5,60年間は、草木は生えないだろうと有りましたが、実際は間もなく徒長した新芽等が生えたそうです。  
  放射線の影響だろうとの説が有ったようです。

  映画「黒い雨」は20年ほど前の白黒作品で、見づらかったと思いますが、内容も進行形式でなく回想形式で、今から考えると63年前の出来事ですから、十分な理解が出来なかった方が多かったのではと思いますが、これは事実に基づいた話ですから…。

 また、この作品は、井伏鱒二の創作ではなく、重松(しげまつ)静(しず)馬(ま)氏の「被爆日記」、夫人の「戦時中の食料雑記」、岩竹博医師の被曝日記等のほか複数被爆者の体験談等を基に書かれたもので小説でなくドキュメントだとの筆者の解説がありますが、昭和40年1月に「新潮」に「姪の結婚」の連載をはじめ、8月に「黒い雨」に改題、昭和41年9月に作品は完成したそうです。

 5月に訪れた広島県、神石高原町の歴史と文学の館「志麻利」に保存されている重松静馬氏の「重松日記」は、B5判くらいのノートで、表紙にnote bookの印刷があり、戦時中にノートの表紙に英語文字があるということはおかしい、戦後に回想として書かれたものではないかと論争になり、ノート作成会社を種々調査の結果、戦時中にも英文字の入った同じノートが有ったことが判明し、現物に相違ないとの結論が出たそうです。

 映画の主人公「閑間(しづま)重松(しげまつ)」は、「重松(しげまつ)静(しず)馬(ま)」氏の名と姓を入れ替え、当て字を使ったのだなということは直ぐに解かりました。
  実名を出すのは当時としては問題があったと思いますね。

 本の書き始めは「この数年来、小畠村の閑間重松は姪の矢須子のことに負担を感じてきた。矢須子が広島で被爆した原爆病患者の噂を立てられ縁遠い状況にあることだ(原文のまま)」といった内容で始まっております。

 この「矢須子」を演じたのは、カッテ一世を風靡したキャンディズの「スーちゃん」こと、田中好子さんで主演女優賞を貰っているはずです。

 数年前、廣島城前のホテルに泊まったとき、この城には大きな建造物が無いのは何故だろうと疑問に思ったことがありました。

  「黒い雨」の文中に、「西練兵場で見習士官が廣島城の吹き飛ぶ瞬間の有様を目にとめた。天守閣はその姿のまま、さっと東南に飛びながら空中に立ってゐたさうだ。
 次の瞬間、その見習士官は視界が利かなくなつてゐた。しかし五層の天守閣が、元の位置から450メートル東南に飛んで、空中で元の姿のままたったことは確かにこの目で見たと言ってゐたといふ。
  観たのではなく、目に映ったのだろう(原文のまま)」とありますが、一般的には原爆の爆発で吹き飛んだとされておりますが、どうでしょうかね。

 「黒い雨」は、ブック本でも販売されておりますが、図書館へ行き「井伏鱒二自薦全集 第6巻 (新潮社版)」をお読みになることをお勧めします。読み応えは十分あります。

 黒い雨の締めくくりは、「今、もし、向こうの山に虹が出たら奇跡が起こる。白い虹でなく、五彩の虹が出たら矢須子の病気が治るんだ」どうせ叶わぬことと分かっていても、重松は向こうの山に目を移してそう占った。」とありますが、文中の向こうの山は鯉の養殖池から見ての候補は3箇所あるそうですが、有力なのは池を背にして正面にある余り高くない山のようです。

 原爆症認定訴訟がいまだに未解決の報道が新聞に出ております。60年を遥かに越え、原爆の苦しみに喘いでいる人びとが未だに300人以上も居られるのはたまりませんね。1日も早い解決を祈ります。