随想
   ひとりごと   241号  香美市 三宮 正博
 

「76年生きてきました」

 (旧)長岡郡御免野田村字田中(現南国市)で昭和24年に生をうけて76年の人生を生きてきました。
 「歳月人を待たず」で、振り返ると父親の口癖・遺言で「親より長生きをしろ」でしたが75才で逝去をした親父の歳を超える年齢となり長くて短く感じるこの頃です。
 御免野田小学校(あんぱんのやなせたかし卒業)では運動大好きなガキ大将でした。
 卒業後、中学校進級にあたり水泳と野球を願望してましたが、水泳での学校推せんもあったことから入学後は水泳部に入部、その後ガキ大将ぶりを発揮し野球部へ転属
 (本人は推せんの意味を無理解、親は学校から詰問、しかし入試結果は及第点だったため親は野球部転属を押しきったらしい、今考えると困った息子に困った親ですね)
 その後、同高校の高知高校に進み野球を謳歌しました。
 社会人となっても野球好きガキ大将は変わらず職場の同僚や地域チームと楽しみ、今もこの歳で月1回のソフトボールに勤しんでます。
 一見元気そのものの人生ですが身体面では、生後間もなく「破傷風」にかかり医師から命の危険を言われたがペニシリンの特効薬で命が救われたらしい。
 (親からはペニシリン注射一本、米俵何俵と高額だったと、聞かされた)
 社会人になって、仕事の転機でストレスと睡眠不足などで長期入院を経験、また新たな県外転勤先では胃潰瘍による下血・吐血で入院と通院加療を複数回、大腸形質炎など何とも不健康な生活を送ったもの今更ながら反省、健康が第一ですね。
 自らの経験・体験談話を思い起こすことで痴呆や寝たきり回避のため特に記憶力の活性化と維持につながればと勝手に思っています。
 末筆ながら思いのままの記述をご容赦下さい。
 会員の皆さんの健康を祈念しつつお会いできることを楽しみにしております。