お元気ですか・タイトル
   人との出会いが楽しい
 平成三年に退職しました。何年になりますかね。
 皆様にお世話になりそのおかげで今があると感謝しています。
 昨年末、思いがけず元の職場のメンバーから忘年会の誘いを受け、喜んで参加し追手筋の居酒屋で歓談中、若い?現役の男の子たちが何を言っているかと思いきや「昔、岡村さん怖かったよね」ですって。
 ショック、帰り際「小さくなったね」ですヶて。でも、再会を約して楽しかったです。
 今は長い人生の中、苦しいことも悲しいこともあり、三年前からお四国の八十八ヶ所を廻っています。月一の日帰りバスツアーで三回目になりますが、元気なうちは行こうと頑張っています。
 その間には趣味の糸にほれた因果で、地機ハタで裂織りを楽しみ、古い布を捨てきれず貧乏性から抜け切れませんが、仲間と年一回高知での展覧会を楽しみに作品作りに励んでいます。
 また、さびれゆく地元の活性化活動や婦人会活動に参加したり、まあ一日の早いこと。
それが健康のもとかと昔を思い出しながら今夜も機に向かいます。
今後ともよろしくお願いいたします。
岡村淑子
(須崎市)

第175号掲載
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  福祉活動に頑張っています
  退職じて早や24年。2年後に別府の野口病院で甲状腺の手術をし、40日間入院して帰りました。
 やっと体調が良くなったとき、今は亡き友人に誘われ、食生活推進委員、健康推進委員、国際ソロプチミストに入会し、ボランティア活動に忙しい日々を過ごしているうち、平成4年に市より民生児童委員を受け今年で17年になります。
 現在は地域福祉活動に頑張っています。
 高齢者の多い私たちの地区では毎週二回(水曜・土曜)のチリの日はチリ置き場の場所作り(犬猫カラスよりチリ袋を守る網張り)や病気でチリを出せない一人暮らしの方のチリ集めをしています。
 また、月1回の「いきいきサロン」のお手伝いなど一年があっという間に過ぎる今日この頃です。
私も来年は80歳、健康でいる限り若いボランティアさんの仲間入りをして地域福祉のために頑張りたいと思っています。
山崎房子
(土佐清水市)

第175号掲載
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今も現役で頑張っています
 皆さんお変わりございませんか。
 私は二年前に定年を迎え、辞めようと思ったとき、友人の二言で奮起し、契約社員として今も現役で毎日オーダーとパソコンに向かっています。
 また、月一度の電友会のボーリング会を楽しみに汗を流しております。
山本寿子
(高知市)
第175号掲載
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 「ひとを楽しく、自分も楽しく」ミュージックやっています  平成18年3月にNTT高知事業部を退職、引き続き契約社員として3年目を迎えました。
 会報174号の「頑張る仲間」で紹介していただきましたように、NTT-OBの先輩と共に、団塊世代のバンド「サイコ」に参加、私はドラムを担当しています。
 メンバーの半分は楽器を持つのは数十年ぶりということでしたが、「好きこそ物の上手なれ」のとおり練習ごとにレベルアップ。
 レパートリーも増えて各種団体や福祉施設からの出演依頼が殺到?しています。
 声をかけてくれているうちが華、ということで出来るだけ演奏に出向いては好評を得ています。
 私は自前のドラムセットを持っていないので、集合練習以外はもっぱらイメージトレーニングです。
 フルバンドでのドラムは少し慣れてきましたが、今でも難しいフレーズがなかなか叩けない時は夜中に夢にまで見て手足をバタバタしているようです。妻に「あんたどうしたが、大丈夫かね」と揺り起こされたことが何回もあります。
 そのほか「ドコモバンド」でも老人ホーム等への訪問演奏も行っています。
 どこのホームでも女性が元気。
 出席の八割は女性で、マイクを向けても積極的で歌声にも張りがあります。
 女性の平均寿命が長い原因がわかります。
 演奏が終わって帰るときに「良かった、良かった、また来てね」と喜ぶ顔を見ると、少しでも社会貢献活動に寄与しているかなと思い、やりがいを感じます。
 最後に「サイコ」「ドコモ」のほかに二つの市民バンドに所属。
 合計四つのバンドで月の半分は練習、本番に出向いていますが、快く送り出してくれて?「今日はどうでしたか」と感想を聞いてくれる妻に感謝、感謝・・・です。
浜口良和
(南国市)
第175号掲載
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「夏は信州・冬は高知」の生活を思わぬ病気で変えました
 昨年は思いもよらず、五月と九月(五月の退院後、丁度三月目)の二度も入院する羽目となりました。
 それも、ある先輩に言わすと「一番お前がかかりそうにない病気」との、脳梗塞で入院加療の羽目となりました。
 幸いなことに(日頃の親を敬う心、信仰心のお陰?)二度とも一過性の症状で、言語障害も
身体の麻痺等も全く残ってなく、本当に奇跡的な状態でした。
 日常ば何のさしさわりもなく生活ができています。ただ、発作が出たときが恐ろしいので、
安全のため、車の運転は自粛…?何より先ず娘たちや家族からの強烈な反対にあいました。
 もう一つは担当医が優しくのたまうのが「谷口さん、山に行くのも結構ですが、ケータイの
届く範囲(つまり救急車をすぐ呼べる範囲の山の意味)にしてください」この一言には参りま
した。登山道で救急車の来れる山は皆無です。(実質登山禁止)
 車もダメ、山もダメ、信州より帰高した後、いささか欝状態気味で半月程が過ぎた頃、高松の友人夫婦が気を遣い「近況報告?」と称して、遠路来宅してくれました。
 本当に楽しい、癒される一時を過ごすことができ、この日を境に気分も晴れ回復の方向に向かい元気を貰いました。
 これまでの体力を養う方法はウォーキングや里山に登る金のかからない方法でした。
 これからは必ず誰かがそばに居りすぐに声をかけ助けを求められるところ。つまり、健康を金で買う?「ジム」に通う羽目となったが、それなりに泳ぎ、歩き、また筋トレに努め会員さんとのふれあいを楽しんでいます。
 今年の11月末で、夏の信州での10年間の生活も終了を予定しています。
 ラストランの信州に行く4月末までに、鍛錬し体力の増強に励んでいる昨今です。
 最後になりましたが、皆様の健康で充実した素晴らしい生活を過ごされることを祈念いたします。
谷ロ昌
(高知市)
第175号掲載
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