お元気ですか・タイトル
唄って踊って
 退職と同時に高知市から土佐市に転居し、「ボーとして暮らしていたらボケる」と子供に言われ、子供がピアノ講師をしており「私がピアノを教えてあげる、指先を使ったらボケ防止になる」と言われ習いましたが、「今言ったでしょ、又間違った」と何度も叱られ、肩もこるし「もう嫌やめる、童謡か唱歌教室に行く」と言うと、「それは過去に頭の中にインプットされているので、ボケ防止にならない。
 それならカラオケ教室はどう」と勧められすっかりはまりました。 ステージの出演依頼がくるようになり、本職の歌手は出演料が入りますが素人は出演料は自前、舞台袖で出番を待つ緊張感、厚化粧で派手なステージ衣装に身をつつみ大変身して、ステージでスポットライトを浴びて唄う快感。ステージ写真を見て子供は「ばけものや」と言いますが、やめられません。
 越知町のコスモス祭りで、生バンドで二曲唄った時は、友達と歌手になった気分と言い合い、最高に楽しかったです。
 フラダンス教室にも行っており、土佐市のイベント大綱祭りや、蓮池祭り、敬老会、老人ホーム、保育園等でボランティアで踊っています。
 他に諸々の教室、カラオケの出演料・衣装代、フラダンスの衣装代に年金は飛んでいきます。
 トイレの神様を唄っている植村花菜さんは、一万人以上入る大阪城ホールでコンサートをするのが夢だそうです。
 去年は孫の通っている学校の吹奏楽部のマ!チングが四国大会で優勝し、大阪城ホールの全国大会に出場出来、応援に行き楽しませてもらいました。
 春は桜、秋は紅葉と年数回小旅行をし、今年は琵琶湖周辺の桜を楽しんできました。
 庭の草花の手入れと言いたいところですが、草引きに追われ、植木屋さんに、「毎日三十分やりや」と言われますが、なかなか実行出来ません。
 これから夏にかけて草との戦いです。
 唄って踊って楽しい日々を送っています
田所美恵子(土佐市)

第184号掲載
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今、思うこと
 皆様お変わりなくお過ごしでしょうか。
 私も最後の職場(ドコモ高知支店)を退職して、はや2年が経ちました。
 今はエメラルドメロンの産地、香南市夜須町の里で畑を耕し、少しばかりの野菜を作り(雑草との戦いが多いかも)又、趣味の映画鑑賞をすると同時に、孫の成長を日々楽しみながら過ごしています。
 さて、3月11日午後2時46分三陸沖を震源に国内観測史上最大のマグニチュード9・0を記録した、未曾有の東日本大震災が発生しました。
 だれもが想定しえなかった大津波が東北地方を壊滅させ、多くの尊い命が犠牲となりました。
 死者・行方不明者は2万人を超え、30万人以上もの方が受け入れがたい現実を必死に頑張っている状況がテレビ新聞等で連日報道されるのを見て心が打ちひしがれる思いです。一日も早
い復興を願うばかりです。
 普通の生活がどれだけありがたい事か自分自身の価値感も随分と変わりました。
 そして、この高知県でも遠くない将来に必ずやってくると言われている南海地震にしっかり向き合い、一人ひとりが自分を守ることと、家族・地域との絆とコミュニケーションが大切であることをあらためて強く感じているところです。
 今年は、もう一つの趣味の備前焼の窯元を訪ね、正面に胡麻が掛かった、自然で悠然としたいんべ態が美しい伊部の備前焼の里へもう一度行ってみたいと思っています。
 今後は無理をせず、ゆっくりと日々の生活を楽しんで過ごすつもりです。
 それでは、皆様お元気で
植田寛
(香南市)

第184号掲載
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時は流れて  にごり酒ほどではないがおとろえた視力、ころばぬまでもつまずくこと多し。
 あの人この人名前はだれだっけ、振り向いて忘れ、横向いて忘れ、歩んで忘れ、あれ?何するんだっけ。
 いん数分解はかろうじて、かん字はほとんどひらがなに。
においすすなし味け無し。
 それらもいつかは戻るかも、と脳天気はハレ予報。
 時は待たずとも呼ばずともここに在り。 
 日々充日楽しきかな。
田岡隆範
(高知市)

第184号掲載
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私は今
 いま? 現在? 現在の私は、退職後三十有余年経ち、その問、俳旬のサークル「やまもも」のお世話をして居ましたが、寄る年波で先生方にも先立たれ、会員もだんく減り遂に五・六年前に解散し、目下手持無沙汰の毎日を送っています。
 いまの私は、先日ふとんの敷具合を直そうと起ち上がったふとんに辻り、したたかに腰を打ち、毎日うむくと捻っている有様です。
 六十・七十頃はあんまり老いたという意識はなかったのが、八十を過ぎると、さすがに心身共にご老女様となり、気は確か乍ら動作がトロくなり、我乍らはがゆい思いです。
 会報の、皆さんの(今)を読んで、お元気で何かとやって居られるのを見て、結構な事と陰ながら喜んでいます。私は昔からの運動不足でその為足元が弱く、おぼつかなく、それに耳も遠くなり、奉寿を超えるとまっことご老女様になったとしみじみ思います。  
 私を通り過ぎるいまがいつ、どの様な姿で現われるか、心を澄まして待っています。
安村淑
(高知市)

第184号掲載
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 「今」を楽しみながら、歳を重ねています  十九年前、「これから、時間はたっぷりあるんだ。さあ、何からしようか」と退職後の人生に心躍らしたことでした。
 そして、夢であった海外での生活を楽しみながら、無理なく自分自身も楽しめるボランティア探しから始めることとしました。
 まず、外語系の専門学校に入りました。
 そこで外国からの留学生達と出会ったり、オーストラリアで三カ月滞在したりしているうちに、やっと英語圏の人達に日本語を教えるという目標を見つけました。
 そのため、日本語教師養成通信訓練を受けながら、英語検定を受け始めました。
 二級まで終え、次は準一級への挑戦と、日本語教師の資格試験を受けようとしている矢先でした。
 価値観を共にしていた夫があっけなく他界しました。その喪失感から抜け出せないまま家に閉じこもっていましたが、あるキッカケで電話相談員のボランティア活動に参加することになりました。
 精神保健など一年間の研修を受け、毎月の勉強会へも積極的に参加するなど、よく勉強したものです。そして、これこそ「望んでいた生き方だ」と毎日が充実していました。
 いつの間にか自分の描いていた「人生」はどうでもよくなっていたのです。
 ところが、ある頃から相談者の話が聴き取りづらくなったのです。医師の診断は「加齢による難聴で治療法は無く、日常生活で支障が出てくれば補聴器しかない」でした。これには愕然としました。
 無論、足腰は痛い、目もかすむし、物忘れはひどいと、日々きりが無いほど老いは感じていましたが、耳だけは大丈夫と自負していたのです。
 この時、「いよいよ老いを受け入れざるを得ないな」と観念しました。
 結局、この活動は四年位で脱会しました。
 二年余り前、チャンスが思いがけなく訪れました。
 高知大学の中国語の先生が大学生達と、日本語教室をボランティアで始めたことを知り、ためらうことなく参加さしてもらいました。
 中国帰国者が日本語を学ぶ教室です。
 殆んどの方が七十歳前後の高齢で、「祖国の言葉」日本語を嬉しそうに、しかし懸命に学んでいるのです。その姿に多くのことを教えられています。
 今、私も新しい挑戦を始めています。中国語の勉強です。子供達のあきれ顔をしり目に記憶力の衰えを嘆きながらも、「ニイハオ教室」で楽しんでいます。日本語教室では新たな友人に出会え、さらに心の中に潜んでいた夢が叶ったことに、喜びと生きがいを感じています。
 今年、喜寿を迎えました。
 限られた時間を大切に活かしながら、「今」を楽しみ生きていきたいと思っています。
 皆様もお元気で。
東定鈴子
(高知市)

第184号掲載
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