お元気ですか・タイトル
 
糸川 好一
(高知市)

第217掲載
「今年は年男」
 ふと気が付けば80才、この坂を何とか乗り超えたかなと思っていると、早や今年は年男とは。
 私の出里は、「土佐塩の道」の途中で、西川花公園から約800m。
 ここで私はミカン20数本育てている。
 “まあ作業は年3〜4回除草、剪定、お礼肥えの散布、開花前の消毒、山岸の草刈り等”しかし何と言ってもミカンの収穫が最大の喜びである。
 その他、「飛ばない」「乗らない」「入らない」ゴルフを月3〜4回と、大橋通り周辺へ月1〜2回、家庭菜園(1個80円の苗を買い、育った頃には上玉が市場で100円、私の作品は80円そこそこ)労力はマイナス評価(買った方が安い)。
 とにかく、喜寿の坂,傘寿の坂を越すごとに、体力は極端に低下し、部品不良も多発する。
 若い電友会会員の皆様は早く出来ることはやって、次に来る事態に対応してください。
 まあ、こんな事で失礼します。皆様、増々お元気で。
池畠 良信
(高知市)

第217掲載
「退屈はしていません」
 完全リタイヤして、早くも5年、大きな病気もしないで7回目の年男となりました。
 リタイヤ後は暇を持て余すのではと心配していましたが、孫たちのおかげで楽しく・感動・心配しながら過ごしています。
 孫は中学時代サッカーのクラブチームに所属していたので、県外での試合も多く、旅行気分で応援に行くことができました。
 ビデオカメラで孫の出場するサッカーの試合を撮影、編集してブルーレイディスクに保存するのが私の役目。
 中学時代は練習試合を含め撮影しなかった試合は、練習試合のある事を忘れていた1試合のみでした。
 勝つことは少なくて残念なことが多かったが、相手チームのエースをブロックした時やシュートが決まった時には興奮、思わず「よっしゃ!」の声も。
 ビデオはあらぬ方向を映していました。
 高校でもサッカー部に入部し、レギュラー目指して練習に励んでいると思っています。
 遠征も多く、追っかけて出場する全ての試合のビデオ撮影は難しいのが現状です。
 チームはインターハイで沖縄に、年末は選手権大会への出場を勝ち取りました。
 インターハイはネット中継で応援。
 ネット中継では音声がでないので、思わぬ失敗も。
 ユニホームが酷似しているチームがあり、選手の様子が少し違うと思いながら全く別のチームを応援していた。
 老眼と判断力の低下?思い込みは駄目ですね。
 選手権も孫は出ないので、テレビ観戦です。
 孫のサッカー応援が第一で、健康のためにウォーキング・市民図書館から小説を借りての読書、船釣りを楽しみながら健康で喜寿を迎えたいものです。
川田 和生
(高知市)

第217掲載
「H25年退職」
 47年勤めた職場を退職して、仕事から解放され1ヵ月を過ぎた頃、先輩から「警備員の仕事をしてみないか」と誘いがあり、何かしたいとの思いもあったので、少し不安ではあったが、やってみようとお願いする。
 それから6年(南ビル4年、中ビル2年)、共に仕事をした人達が、次々と職場を去って行く淋しさもありますが、新しい人達との出会いも又楽しいものです。
 私も、ようやく72才になりましたが、健康に気を付け、優しく、時には厳しく、警備員の仕事を楽しんでいます。

浜野 昌子
(南国市)

第217掲載
八回目の「年おんな」
 オリンピックの二〇二〇年。
 おめでとうございます。
 そして今年は子(ねずみ)年(どし)。
 私、人生最後であろう八回目の「年おんな」です。
 年おんなと云えば、生き生きと艶っぽいひびきがあるのに、私ときたらシミ・シワを大事にため込み、したたかに生きています。
 思い返せば戦前戦後の食糧難、お金も物も無い時代を生きのびて、後期高齢者の道を歩きつづけています。
 私のほこりとする事は子供の頃から現在までふくよかな体型を堅持、病院とはほぼ絶縁状態です(歯と眼以外)。
 子(ね)年はお金に困らないとよく云われますが、ずい分と小さなお金に困りました。
 こうして八回目の「年おんな」を迎えると云うのに未だに大金を手にする事はありませんでした。
 貧乏にもめげず働いたおかげで年金あり。
 本当にありがたい事です。
 我が家は息子家族と同居で六人と云う大家族。
 まあ、つつましくもほのかな幸せを感じています。
 今年は今までで一番いい年になる様にと願っています。
松岡 俊明
(香美市)

第217掲載
【年男】
 6回目の年男を迎えたらしい、と他人事のように言っておかないと、やっていられない。
 オギャーと生まれてから皆さんのお世話になり、ずいぶん遠くへきたと思う昨今です。
 5回目の還暦を迎えた頃から体にガタがきだした感じで、左右の眼に何かしら蚊が音もなく飛んでいる状態です。

 最近は足の膝の方にも異変があり、現役の頃は、自らの足で千万里といえども我行かんとの心意気のような、足の方には変な自信があったのですが、今は病院通いで、左右の足の注射痕が痛々しい、トホホな状態です。

 65歳で退職してから6年位経ちましたが、無芸で少食のためそれなりにやっています。
 現役時代は業務外で30人を超える知人に、ADSL(古い!)や光ファイバー・インターネットをお世話したことがあり、今も一部の方とお付き合いが続いています。

 WORDの当用漢字以外の外字の作り方や、出し方がわからんきなんとかならんか・・とある人から電話(ムムム俺もわからんが取り合えず調べてみよう)。
 でひとまず通信ソフトを起動、相手のパソコンとつなげて相手の画面へ入り「これこれこうやれば」と、手取り、足取り・・ああ疲れた。

 お次は「4Kテレビ買うたが映らんなんとかならん?」(そりゃ俺もまだ昔のテレビしか持ってないのでなんともならんが、こりゃなんとかせんといかん)と、インターネットで4KTVとは?とか、アンテナ、配線について調べてみた。
 どうも最近の衛星電波には右マイ、と左マイ(失礼!マイ=旋です)があるようです。
 で結局、一緒にアンテナ工事やることになり映ってよかった・・などなど。

 皆気楽なもんだ、なんとかなるだろうと思って聞いてくる。
 こちらもわからないことのほうが多いですが調べ一緒に苦悩し解答を見つける。
 いい意味でボケ防止、の間柄になっています。・・・と、このような日々を暮らしている今日この頃であり、また元気な7回目を迎えたいと思っています。
 (うーん次は84歳か・・頑張ろうっと)

森下 雅文
(日高村)

第217掲載
「地方議員で頑張っています」
 あけましておめでとうございます。
 現在も地方議員をさせて頂いております。
 一昨々年の改選後、村議会議長に就任した為に、以後洪水対策や道路整備などの要望のために、県の土木部や国交省高知河川事務所・四国整備局、国交省、衆参両院の国会議員などに陳情を繰り返す2年間となりました。
 私の住む日高村は、江戸時代野中兼山によって高岡・春野地域への利水の為に仁淀川へ鎌田堰・八田堰を建設し、仁淀川本流の河床を上げた為、洪水時には仁淀川本流の水が支流の各河川に逆流し、田畑や家屋が水没するという被害が3百有余年の間繰り返されて来ました。
 この洪水対策の為に、現在3本目の放水路掘削と河川改修を約2百億円の予算で実施していますが、掘削中に軟弱地盤に遭遇した事で新たに90億円近い予算を確保して頂く為の要望等を行って来ました。
 村には他にも多くの課題があるのですが、解決にはどうしても県や国にお願いせざるを得ず、今年も要望を繰り返す日々になりそうです。

「中央が森下さん」
田岡 隆範
(長野県)

第217掲載
年男ではないですが・・・)
石川県で高知をみた
 日本最大規模の自動車博物館(一階から三階までのトイレは世界の便器)を見学した帰り道、ふと目についたミュージアムの案内板に覚えのある著者の名前があり気になって寄ってみることにした。
 それは中谷宇吉郎「雪の館」と言う中谷先生の雪に関する研究資料館で、美しい雪の結晶の写真や研究成果が展示されており、学芸員によるダイヤモンドダスト発生実験や氷の結晶が出来る実験に“うわー”と感動した。
 で、高知との関係と言うと、中谷先生の恩師が寺田寅彦教授で、とても親交が深く寅彦先生が亡くなった時、奥さまから愛用のネクタイを贈られて、それも展示されてた。
 帰り際、ホールでふと目にしたパンフレットの中に“ありゃ!“高知岡豊博物館のパンフレットが並んでた。
 虎彦は夏目漱石の弟子で、小学時代昆虫採集にはまってた。
 なお、近くに民間と自衛隊共用の小松空港があり、航空ファンには堪らんジェット戦闘機が低空で絶えず飛び回っている。
 航空プラザには、スキーを履いた飛行機や戦闘機等の展示と実物のYS11によるシミュレータでリアルな操縦体験ができた。
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