はりまや橋の鳴子おどり


  高知市の中心地、はりまや橋交差点東・北の「デンテツターミナル ビル」に設けられたからくり時計。
 9時から21時の毎時、よさこい鳴子おどりが披露されています。
 今年も8月9日から12日の4日間、高知は第51回よさこい祭り「よさこい鳴子おどり」一色に塗りつぶされます。
 一足お先の鳴子踊りをどうぞ・・・

 朱塗りの欄干は、昭和33年に南国高知総合博覧会の開催を記念して作られたもので、昭和40年の改修時に撤去され、いまは「はりまや橋公園地下道の東側広場に展示されています。


 日本三大がっかり名所の一つといわれていますが、朱塗りの欄干と『土佐の高知のはりまや橋で 坊さんかんざし買うを見た・・・』と唄われている純信・お馬の艶聞で全国に知られるようになった情感あふれる所です。
 平成9年には、一帯の再整備が行われ、橋の東西に公園が出来、それを結ぶ地下道が出来ました。
 地下道の広場には、はりまや橋の由来や純信・お馬の悲恋物語、高知の日曜市、土佐の偉人たち、よさこい鳴子おどりなどのパネルが展示されていて、観光に一役買っています。
朱塗りの歩道橋と播磨屋橋周辺
朱塗りの歩道橋と播磨屋橋周辺
東側のはりまや橋公園 西側のはりまや橋公園
「はりまや橋公園」  水辺や木陰で市民の憩う姿が見られます。

地下広場の展示パネル
高知の日曜市
朱塗りの欄干や説明パネル
よさこい祭りのパネル
高知下町浦戸湾風俗絵巻の陶板画
高知下町浦戸湾風俗絵巻の陶板画

はりまや橋の移りかわり、説明パネル
はりまや橋の移りかわり
 はりまや橋は江戸時代初期、堀川を挟んで店を構えていた播磨屋と柩屋が、お互いの行き来のために架けた私設橋でした。この橋は、次第に人の往来が多くなったので公道となり、はりまや橋と名付けられ、周辺は城下町の中心商店街として発展してきました。又、ここが全国的にも有名な純信お馬の悲恋物語の舞台ともなりました。
 そして明治41年(1098)10月には、鋳鉄製の橋に架けかえられます。
 その後、高知駅の開業、電車の開通などによる道路整備によって、道路幅も拡張され、第二次世界大戦後の戦災復興により、昭和25年(1950)に石造りの欄干をもつ橋となりました。
 さらに、昭和33年(1958)南国高知総合大博覧会のとき、歩道と車道の境に、朱塗りの欄干か登場します。
 平成9年(1997)、再整備事業に伴い、朱塗りの欄干は撤去され、その跡に石造りの欄干が移設されました。