NTT高知OB親睦旅行で平成25年10月30日から3日間、会員とそのご家族で「長崎・雲仙」へ行って来ました。 旅行の写真集を紹介します。
NTT高知OB親睦旅行が電友会と退職者の会共催で行われ、10月30日(水)〜11月1日(金)の2泊3日で、幻の海上都市・軍艦島と九十九島クルーズを49名(男性27名・女性22名/うち家族7組)でめぐつてきました。
《第1日目》
早朝7時、はりまやばし観光バスターミナルを出発したバスは 「いくな酷道」と言われる国道197号線を一路西へ西へと進み、「そうは五十崎、内子は手前」(麻雀の時によく使う)を通過して愛媛県の三崎港をめざしバスは全力疾走。そして国道九四フェリーで右・瀬戸内海、左・宇和海を眺めながら船中昼食。
佐賀の開港から大分自動車道で九州横断し西海国立公園・九十九島遊覧船での島めぐりのため、バスドライバーはアクセル全開で走ったが、十分遅れで間に合わずアウト。 全力疾走が全力失走となり、船は出ていく煙と乗客と後悔が残り、やむなく全員マーキング後、本日の長崎市内の宿泊所に向かいました。トラベルはトラブルがつきものですが正にその瞬間でした。
長崎方面への車中から、あかね色に染まる夕刻の海と雲、大村湾の夕日はなにごともなかったかのように、やさしく頬をなでる風にそっと吹き落されるように静かに海に消えていきました。
夜は卓袱料理(和・唐・蘭のミックスした献立がそのまま盛りつけられたもの)で舌鼓を打ちました。長崎文化は、わからん(和=日本 華=中国 蘭=オランダ)文化の一端を垣間見ました。
砂糖をふんだんに使った料理に香川のあんもち雑煮の逸話(献上品の砂糖をせめてお正月には食べたいと、おもちの中に甘いあんこをそっとくるんで御雑煮にして一年の幸せを祈った)ことを思い出しました。
ちなみに長崎では西洋人を見ると誰でも「オランダさん」と呼んでいたという。
〜本日の旅行の出放題〜
「NTTOB旅行」
目的地=トイレ
ー乗客−
バスガイド殿
《第2日目》
朝のバイキング、長寿の秘訣「食細くして、命長かれ」は知りつつも、ついつい、いつものとおり、口は極楽、腹地獄となった。
午前9時に長崎めぐり遊覧船軍艦島クルーズに出発、港の近くに鎮座する大きな鉄玉ひとつ、「玉はあれども大砲なし」 のガイドの話から、打つことが出来ない鉄砲玉に、本日乗船の男性陣を重ね合わせてクスリ。
長崎港は鶴が羽根を広げた姿に似ているとのことで鶴の港とよばれているという。
港から眺める坂の長崎を彷彿させる坂道に沿って立つ家は、やはり長崎の万言バッテンのように×の筋交いの多い耐震性のある家であろうと推測しました。
軍艦島への途中の景色は三菱造船所のクレーンが林立、イージス艦『こんごう』、史上最大のクルーズ客船が2年後に完成予定で作業中。
世界最長の斜張橋を抜けて、高島石炭資料館のある高島に到着し桟橋から上がると、「ようきたのう!!」というように右手を挙げた岩崎弥太郎の大きな銅像に出会い、安芸に来たのではという錯覚に襲われました。
炭坑を佐賀藩から引き受け弥太郎の三菱合資会社の経営で手腕を発揮したとのことである。案内人と話すうち「高知県人!! 岩崎さんはよか男ですばい。お兄さんも!」と言われた時にはグッときた。
ここで軍艦島の概要や当時の工事道具等の現物を見学し、いよいよ目的地の軍艦島(端島)に上陸。岸壁の堤防も波に打たれて壊れたまま。
この島は外観が戦艦土佐にていることから軍艦島と呼ばれるようになったとのこと。
何か弥太郎・土佐と高知県とのご縁を感じた。
50年後には崩壊するという日本最古の7階建て鉄筋コンクリート高層アパートや、水が
なくて困ったこと、日給住宅もあり、当時の炭坑夫の苦労等ガイドの話に感涙した。結論として未来の福島第一を見るようであった。 その後昨日見逃した九十九島遊覧船で島めぐり、208ある島のいくつかをみてまわった。 夜の交流会り、獅ある島のいくつかをみてまわった。日本は6800もの離島が支える海の広さ、国土面積は世界61番目であるが領海は世界第6位を思い出した。
本日予定の龍馬銅像と亀山社中跡は未来の旅行まで見山残した。
みやげ店ではいつものとおり「行き過ぎて、戻り眺めて、手に取りて、試食はしたが、何も買わずに店を出る」 でした。
ホテル到着後、風呂=不老にはゆったり入りたかったが夜の宴会のため、烏の行水の如くとなったが、龍馬の手紙のようなキンタマをわることはなかった。
ホテルの寝室の枕に赤い鶴と金の亀の折り紙がそっと置かれていた心配りに感謝。(二人部屋追加料金) 六千円の差かな?
《第3日目》
雲仙九州ホテルのすぐ隣が雲仙地獄、ゆっくり散策、さすが日本初の国立公園の温泉地、真白い水蒸気がもくもくと噴き上がり湯けむりたなびく温泉情緒満点。
後ろ髪をひかれるように、バスに乗り仁田峠展望所から1990年普賢岳噴火で誕生した平成新山を眺め自然の営みに驚愕。
道の駅『みずなし本陣ふかえ』 では雲仙普賢岳噴火による土石流災害の爪痕、土石流被災家屋保存公園で屋根上まで土石流に埋まった家に、被災当日のテレビ映像を重ね合わせて、自然の脅威を改めて思い知った。平成新山も一望し、我々も何れ来るであろう南海トラフ地震に備えなければいけないことを学んだ。
帰途雲仙から熊本にわたる有明フェリーに乗船した修学旅行の小学生が海に向かってお菓子を投げているのでどうしてかよく聞いてみると、「インターネットで、カモメがエサを受けるの一を見た」とのことであった。
また九州から四国にわたる国道九四フェリーには「海へゴミを捨てないでください」との看板、矛盾を感じながら一路高知に向けて全員が無事に帰還した。
《あとがき》
人の一生は長い旅を往くがごとしという。旅ではゆったりその土地に浸るのが好きです。時計を気にせず時を過ごす。それが旅のよさだと思う。ゆっくり散策して、その雰囲気を味わい、うまい料理とお酒を飲んで温泉にたっぶり入って部屋でくつろぐのが理想、我が年齢を再認識した。やっぱり歳かなあ!? (黒岩靖夫 記) |