NHKテレビドラマ「大地の子」で一躍スターになった舞台俳優上川隆也氏をご存じだろうか、私はひょんなことから彼と知り合い、数年間親しくつき合わせていただいたが、今は疎遠になり連絡を取っていません。
彼との出会いと親しかった数年間の付き合いについて書いてみようと思います。
彼との出会いは今から20年も前のことです。
彼が所属している演劇集団キャラメルボックスが「また逢おうと竜馬が言った」という坂本竜馬の劇を高知で公演をするにあたって竜馬が下手くそな土佐弁をしゃべっては高知県の皆さんに申し訳ない。
そこで土佐弁を指導してくれる人を探していますと、ラジオで座長みたいな人が言っているのを聞いた私は、その人に連絡を取りました。
後日、来高した座長と二人で土佐弁で著名な高知大学名誉教授土居先生を訪ね、台本を元にセリフを土佐弁に直しアクセントを入れる修正作業を進めるが、なかなかはかどりません。
業を煮やした先生が、「後は君がやりなさい」と私にお鉢が回ってきました。
そこで前後のセリフも土佐弁に直し、テープに録音し東京に送りました。
高知公演が始まったのは千九百九十五年の夏であった。私はリハーサルの行われている舞台みていたが、仕事があったので感想を言わずにその場を去りました。
竜馬役の上川氏が、「植田さんが何も言わずに帰った」と不安がっていると本番を見に来た私に座長が告げました。
私は舞台の端で土佐弁のセリフを練習している上川氏の元に行き「大丈夫、大丈夫巧く言えている」と励ましました。
途端に上川氏の顔が変わったのを覚えています。
これが上川氏と初めての出会いであります。
高知公演中は毎晩酒を飲み交わし、公演は福岡、東京でも行われた。
公演終了後にNHKで「大地の子が」が全国放映され、上川隆也氏は一躍スターになりました。
その後突然お忍びで私の前に自家用車で現れ。
その日は西日本が大雪で道路が通行止めになっている中、深夜に高知に着いたのです。
その夜は我が家に泊まったが、その日に限って酒のつまみがない。
お忍びの理由は、翌年の正月テレビ時代劇「竜馬がゆく」の竜馬役に決まった。
この報告を一早く私に知らせたかったそうです。
次の日は北川村の中岡慎太郎館へ上川氏の車の運転で見学に行き、夜はまた呑んだ。
その後、全国龍馬ファンの集いでのゲスト出演やNHK大河ドラマ「龍馬伝」で中岡慎太郎役での北川村イベント参加。
個人的には上川氏の舞台公演への観劇や舞台での楽屋訪問などと親交を深めあいました。
ここから先はオフレコですがこんな事もありました。
撮影のロケ現場を私一人が見学したことです。
それは大河ドラマ「功名が辻」のラストシーンが桂浜の海岸で撮影されたことです。
上川氏から事前に内密の連絡が入りました「何日の朝に桂浜で撮影がある」と、場所など詳細なことは分からないが、何日の朝と桂浜だけは分かった。
多分桂浜の浜辺では観光客に目立つのでやらないだろう、やるとしたら竜王岬の西海岸だろうと目星を付けてそれらしい場所を探したら、いました浜辺に撮影用のクレーンが、それに普段はいないガードマンが海岸への入り口に立っていました。
止められましたが、そこはビビルことなく、関係者だと名乗り難なくクリアしました。
撮影現場は朝日にキラキラと波が打ち寄せる桂浜の西海岸の浜辺、そこには仲間由紀恵さん演じる若き頃の千代が、目線の先には上川氏が演じる若き山内一豊がいます。
二人は見つめ合い一豊がしゃがみこみ、千代を背中に背負い波打ち際を十数歩歩きます。
そこで大河ドラマ「功名が辻」は幕となります。
このシーンを私は唯一人の観衆として立ち会ったのです。
撮影が終わって仲間さんが私の前を通って帰る時思わず私は「ごくろうさま」と声をかけました。
仲間さんは軽く会釈を返してくれました。
当然上川氏とは後で会話したが内容は覚えていません。
俳優上川隆也氏は不思議と高知県と縁があります。
上川氏が演じた有名な高知県人は、山内一豊、坂本龍馬、中岡慎太郎と人もうらやむ大物ばかりです。
そんな人物と数年間だけど、親しくさせていただいたことは宝です。
その後、上川氏とは所属事務所の移籍などあり、彼の多忙もあり、最近は連絡を取っていませんが、彼の姿は時々テレビで見かけます。
若き頃の凛々しい姿から、ふっくらと肉がついて幸せ太りをしているようで安心です。
また昔のようにお酒を飲み交わしたいものです。
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