[会員特別寄稿]
龍馬はなぜ軍鶏鍋に拘ったのか
植田 英(いの町) 242号
 高知県人は、軍鶏鍋といえば坂本龍馬が食べそこなった鍋と応えます。
 慶応3年11月15日の夜、京都の近江屋にて坂本龍馬は何者かによって、土佐の中岡慎太郎と共に暗殺されました。
 もし可能ならば、三十三歳でこの世を去った龍馬に、「心残りなものはありませんか?」、と質問すると、「軍鶏鍋を食い損ねたネヤ!」と龍馬はいいそうです。
 なぜ軍鶏鍋に拘ったのか、龍馬評論家が触れていない部分に、私流の推理で分析してみます。
 軍鶏鍋とは、鶏の一種の軍鶏を使った鍋料理でして、高知県では昔は東部地方一帯で飼育されており、娯楽で軍鶏同士を戦わせて楽しんでいたようです。
 当然戦いに敗れた軍鶏は鍋などにして食べていたそうです。
 また、お客さんがくると、年のいた軍鶏からさばいて、お客さんを持てなす風習が残っているようです。
   龍馬が軍鶏鍋が好きなのは、子どもの頃姉の嫁ぎ先である安田町の高松家に度々遊びに来ていたので、その時に軍鶏鍋の味を知ったにちがいありません。
 慎太郎の出身は東部地方の北川村で、家の身分が庄屋であったことから軍鶏鍋にはなじみがあったと想像できます。
 風邪気味だった龍馬が、中岡をもてなす訳、そんな二人が今夜食べたいメニューに一番に軍鶏鍋が当たったかもしれません。
 そこで、龍馬は近江屋に出入りする峯吉に、鳥新で軍鶏を買ってくるように命令しました。
 通常では鳥新には軍鶏は置いてなく、注文が有れば扱う貴重な商品なので、鳥新の大将は「ご用意するには一時間ほどかかりますが」と、言ったが、峯吉は軍鶏を鶏肉に変更しませんでした。
 峯吉にとって龍馬の命令は絶対だったのです。
 峯吉が勇んで近江屋に軍鶏を抱えて帰って来た時には、龍馬と慎太郎は一緒に暗殺されていました。
 龍馬が鍋の具を軍鶏にこだわらず、普通の鶏鍋にランクを落としておれば、暗殺はまぬがれていたかもしれません。
 蛇足ですが、11月15日は龍馬の誕生日でもありましたから、やっぱり鍋は軍鶏鍋でなくてはいけなかったのでしょうね。
 しかし幕末の日本、誕生日を祝う風習はあったのでしょうか。