仲間とともに書を学び手ほどく
192号 中平博子さん(高知市) 
(取材 山崎) 

今回の頑張る仲間はOBサロンで書道教室を主宰している中平博子さんを紹介します。
 中平さんは昭和三三年高知電報電話局へ入社運用、営業を経てテレホンセンターを最後に平成五年に退職されました。
 子供の時より始めた書道で、今では安芸全国書道展、高知県展、県女流展等で数々の賞を受賞し、自分も書の勉強をしながら昔の職場の仲間に書の手ほどきをなさっています。
 丁度教室のある日にお伺いし勉強風景を見学させてもらうと、教室の皆さんが自宅で清書してきた書を中平さんが添削していました。皆さんの書いてきた書は素人の私が見るとすごくうまく直すところなんかないなと思うほど上手な字だと思いましたが、書き順、字の配置等次々と添削する様を感心しながら見せてもらいました。お稽古のおわったあと書道との出会いなどのお話をおうかがいしました。
  ☆☆ 私と書道との出会い ☆☆
私と書との出会いは小学六年の頃だったと思います。家の近くに学習塾のような所があって書道とか絵なども教えていました。成績の良い子供には、紙とか筆を下さってとても楽しく嬉しかったことを覚えています。二年程通ったと思います。(この時の基礎練習が後に役にたちました)高校にも書道部がありましたが参加せずひたすら勉学?に励み書とは関係なく就職、結婚、子育てとごくごく普通の生活を送りました。
NTT(当時はは高知電報電話局)には書道部があって光本三千萬というとても有名な先生が指導されていて先輩には県展入選者もいた様に聞いています。しかし勤務時間も不規則、転勤も多くなかなか続かないと当時先生は嘆いていました。私は子供が小学入学前硬筆を習っていて、その待ち時間がもったいないと自分も始めてしまいました。そしてその息子が四十三才になりました。 月に二回位しか書けない時もあったし家族もよく病気もしました。病院を三か所洗濯物を持ってまわった記憶もあります。その時どんなにしていたかはっきり覚えていませんが、嫌なことがあったり寂しい時、不安を抱えてしまった時、いつも側に書道があったような気がします。 
 夢中に書いているととても気分転換になって元気がでました。書道は私の気持ちの逃げ場所だったように思います。四十年近く書いた割には、あまり上達していませんが、墨の字を書くことが好き、その好きなことをずっと続けて来られたことへの感謝は支え理解してくれた家族へ又励ましいつも見守ってくれる友や仲間に本当に言葉にならない程のものがあります。
 今はOBサロンで(NTTへ感謝)OBの仲間と月二回、又所属している書道団体のお手伝いを、これも月二回程。これからも健康で書けますようにと祈るこの頃です。
☆  ☆  ☆
  お話を聞きながら一つの事を継続して続けることの難しさや、とにかく好きでないと続けることは難しいこと、継続することでより良い結果がでることがわかりました。これからも、精進してますます素晴らしい書が書けますよう、又お身体に気をつけて頑張ってほしいと思いました。  

トピックス 193号掲載