踊りとJA助成部で年齢を忘れて頑張っています
194号 出間緑さん(佐川町) 
(取材 山崎・大野) 

 NTTのOBで、地域の子供達やご老人にボランティアで日本舞踊を教えている方がいるとの話を聞き込み、酒蔵が並ぶ歴史豊かな文教の町佐川町にお住まいの出間緑さんをお訪ねし、これまでの事そして今の事を、あれこれとお聞きしました。
 おおよその年齢の予備知識があったものの、お会いしてみるとずっとお若く見え、急な階段もスタスタと上がられるので、女性にお聞きするのは失礼ながらと前置きをして年齢をお聞きしますと「八十二才です」とのお答えにびっくり。自動車の運転も「七八才までは、山道もいとわず運転していましたが、(もう危ない)と子供たちに止められてしまいました」と、お達者ぶりを話していただきました。
 八十才を超えられた今も、年代を問わずたくさんの方々との交流があって「声をかけてもらったら、年齢を忘れて頑張っています」というのが若さの秘訣に違いないと記者は感じました。
 出間さんは郵便局を経て佐川電報電話局に入社、電話交換の仕事をしたのちサービス管理係に。XB交換機の度数計撮影に「あちこちの交換所へ山間のせまい道を、軽四を運転して毎月通ったものです」。退職前の六年間ほどは、初めての転勤で係長として須崎電報電話局へ。新たな職場で人間関係などを心配したが「みんな良い人で、とりこし苦労でした。今振り返ってみると楽しい事ばかり」と懐かしみました。
 日本舞踊との出会いは在職中の四十才ころ、若柳流のお師匠さんについて習い始めました。「良い先生に恵まれました」とのことで、その先生のお勧めで、はるばる京都に通い名取の資格も取られました。発表会ごとになんやかやと百万円程度の費用を要したそうですが「いい職場で勤めていたからこそできたんですよね」と振り返られました。
 出間さんの評判を聞きつけた方々から、蹄りを教えてほしいとの依頼が相次ぎ、各地の公民館などで「請われれば、楽しみもって教えている」と歌謡舞踊の教室を開いてきました。時には小学生さんにも指導を求められ、日舞の手ほどきをしたこともあります。
 平成元年に勤続四二年で退職しましたが、周囲が放っておいてくれません。
 農家ではないものの、すぐにJAコスモスの女性部に誘われ役員に。女性部長を務めたのち、現在では助け合い組織「にこにこ会」 の会長として、高齢者見守りの活動を牽引しています。「八十才を過ぎたので会長職を退きたいのですが、後継者がいないので困っています」ということで、まだまだのんびりできないようです。
 にこにこ会の活動の一つとして、仁淀川筋各町村に広がるJAコスモスのエリア18カ所の集会所などに、毎月2回ふれあいサロンを開いて地域のお年寄りを集め、午前10時から午後3時まで、いわばミニデイサービスを行っています。
 打間さんご自身も、山道をわけ入った、佐川町中心部から一番遠くにある四つ白地区のふれあいサロンの担当として毎回出掛けており、一緒に食事をしてお話相手になったり、民踊を教えたり時々一緒に踊ったりと、お世話をしています。
 「私より年齢の若い人もおるわよ」と笑います。
 先日佐川町で芸能祭が開かれましたが、「ふれあいサロンのご老人がぜひ踊りたいとのことで、一緒に草津節を踊りました。腰掛に腰かけたまま踊れるように練習しましたが、足腰が弱っても手だけでも踊りたいという気持ちが大事ですね」と、語ってくれました。
 お話を伺っている間にも携帯電話が鳴り、「これから一緒に昼食をしようとお誘いです。若い方々にもよく誘われて、毎日が忙しいくらいですよ。」とほほ笑まれました。
 「料理教室もやってみたい」と話される出間さん。旧国鉄を退職されたご主人や、息子さん家族に囲まれたご家庭で、まだまだ老いることなく活動されることでしょう。
トピックス 194号掲載