「南海地震の津波と闘う」
196号 田村俊彦さん(高知市) 
(取材 足達裕昭) 

 今回は太平洋と清流仁淀川河口のすぐそば、高知市春野町仁ノ地区で農業と防災活動で地域の核として頑張る田村俊彦さん(70歳)をご紹介します。
 訪問したのは園芸ハウス地帯にさわやかな風薫る5月23日で目の前に広がる太平洋の大海原と、地区の入り口にある大規模な太陽光発電施設に目を奪われました。
職歴
 昭和38年赤岡電報電話局を振り出しに、平成19年3月NTTドコモ高知支店で43年間のサラリーマン生活に幕をおろしました。
実家の田畑維持と農業の教え
 退職後は、実家の田畑を守るため、農業に専念しました。
 主に野菜類を中心に栽培し、他にさつま芋等、季節折々の作物を栽培しています。
 また、10年前からは会社時代の先輩NさんとTさんに畑の一角を開放し、農業の楽しさを教えています。「今では生徒の方が作り方が上手になり【豆づくりのNさん】、【野菜作りのIさん】と言われ、反対に毎日指導されています。」と教え子の成長を喜んでいました。
南海地震対策
 太平洋のすぐ傍の同地区は、近い将来必ず発生する南海地震の際には最大15mの津波が予想されています。
 同地区でも過疎・高齢化が進み、地域での自治会活動が停滞化していました。
 そこでNTTを卒業した若手の田村さんに早速地区の自治会長、自主防災会役員の大役が回ってきました。

最初に取り組んだこと
◇津波対策として「裏山へ避難道を作ろう」 標高3m〜5mの同地区は15mの津波で一 瞬のうちに海の底となります。そこで地区の住民(特にハウス栽培にかかわる若手) に働きかけ平成24年7月から3カ月をかけ、標高35m地点まで約100m余りの地区独自の避難道を完成させました。
 ※その後、粘り強い行政との折衝により補助  を受け、現在では写真のような立派な避難道に変身しています。
次に取り組んだこと
◇避難道終点の山頂に「備蓄倉庫を作ろう」
 せっかくできた避難道を生かすため、備蓄品や防災資機材を格納する倉庫を、これも地区独自で、平成25年、夏の農閑期の暑い時期に約2ヵ月をかけて完成させました。

 ※当初は「避難倉庫」として計画しましたが、法的規定・建築許可等のリスク管理の関係から「備蓄倉庫」としました。
今後の取り組み
 ◇備蓄倉庫の資機材充実(行政との折衝継続)
 ◇個人所有物品の区分棚等の整備
 ◇高齢者、乳幼児を含めた避難訓練
 ◇炊き出し訓練の実施等
(苦労した事、良かったこと、今後の抱負)
・地区民の同意を得る事や行政との折衝。
・ハウス栽培の農閑期は7〜8月で、猛暑の中、短期間で作業をせざるをえなかった。
・綿密な行動スケジュールを作成することにより、地区民全員で目標達成に向け取り組 むことができた。
・サラリーマン時代に地区の皆様に大変お世話になった分、今度は自分で少しでもお世 話できたらと思い頑張っています。
・課題は山積しているが、行政・自治会・自主防災組織と連携を密にして前進します。
◆毎日の健康管理
 夏は早朝、冬は昼間に自宅出発1仁淀川河口大橋から右手に太平洋を見ながらのウォーキングを40分程度毎日欠かさず行っています。堤防の上のウォーキングは最高です。電友会の皆様も一度是非歩きに (遊びに)釆てください。

(取材を終えて)
 現地を見て「これはすごい」と思いました。
標高35m地点まで整備された避批難道は地区の3方向から登れるよう見事に整備されています。
 私も町内会防災会長を引き受けていますが、なんといっても地区民との?、、ユニケーションが一番大事だと思います。NTTの大事なお客様でもある地域の方たちのためにもお互い頑張りましょう。       
トピックス 196号掲載