高校バスケ指導して35年の経験 高知大学女子バスケ部監督を務める
199号 山本啓視(高知市) 
(取材 大野文平) 

 在職中から高校バスケットボール部の指導を長年続け、現在は大学バスケ部の監督を務める山本啓視さん(66才)にお話しを伺いました。

 山本さんは昭和42年の入社で、50才までは高知・室戸・安芸など県内外各地の伝送無線の職場で勤務して来ました。平成26年3月末65才で退職しましたが、かねて培った技術を請われて、市内のテレビ局で週2日夕刻から翌朝9時30分まで、番組送出や監視などの放送技術スタッフとして勤務しています。
 50才から退職までの15年間は、高知への転勤と同時に通信機器販売の営業職に転身。初めての仕事でしたが、訪問先の社長が教え子の親御さんだったりして、高校での指導や県バスケ協会役員(審判長も歴任)としての人脈に助けられたそうです。
 中学校では野球をしており、高知工業高校入学時に「野球の練習はキツそうだし、バスケならもっと楽かな?」とバスケ部に入りましたが、「なんとしてもレギュラーになって試合に出たい」と猛練習したので「結局キツかった」と笑いました。「中学までは背は高くなかったが高校の三年間伸び続けて」177cmの長身に。現在も“なるほどバスケ”という背が高く引き締まった体形を保っています。
 入社初任地今治勤務で2年ほど経ったころ、帰省して母校高知工の試合を応援したが散々の結果。「なんとかせんといかん」と帰郷させてもらい外部コーチとして指導を始めました。以来35年間高知工で指導する傍ら、中学生や車椅子バスケ、一般クラブチームも指導。特定の練習場所を持てないいわばジプシーチームでは、公立体育館の借用などの世話も監督の役目です。
 県外在勤中も連日通勤状態で指導にあたったり、練習タイムに合わせて時間休暇を取ったりと、職場の理解と協力も得てバスケ中心の生活でした。「退職するまで勤務場所は変わっても、会社・上司・仲間に恵まれバスケットボールに関われたことに感謝」と語ります。
 そして在職中からボランティアで努めている高知大学女子バスケ部監督は4シーズン目、当初の1年生がこの春には最上級4年生です。
 苦労するのは部員の確保。「経験者が入学してもサークル(同好会)に流れてしまうこともある。推薦入学枠をとるのも困難で、部員10名を切ることもあって大変」と苦笑します。
 練習日は月金を除き土日含めた週5日。「指導したことをよく理解し、目いっぱい頑張ってくれるので、やり甲斐がある」と語ります。県内では工科大とともに一般リーグ(8チーム)に加盟。四国内大学から年間3回12〜14チーム参加しての対抗戦では「これまで準優勝が最高なので、優勝を目指している」そうです。
 部員の多くは小中高の教員志望者なので、審判や指導法など将来を見据えた指導も取り入れています。中学・高校との合同練習では部員がリードし、「大学生の指導が、丁寧で解り易い」と好評を得ています。
 「僅かな仕送り額に不満も言わず、身なりは質素でいつもジャージ姿、激しい練習のあともバイトを頑張る学生もいるよ」と真面目さに感心し、「県外出身の学生が多いが、高知でいい思い出を作ってほしい。時々教員等に就職して高知に残ってくれるのは嬉しい」と親心をのぞかせます。
 「『認めて褒めて・・・』と、『やって見せて・・・褒めてやらねば』を肝に銘じ、さらにバスケットボールの勉強をし、椅子に座らず選手が楽しく、バスケットボールが好きになるような指導を続けたい」、と語る山本さん。毎年東京で開かれる指導者向けクリニック(講習会)に自費で参加して、自らの研鑽も怠りません。
 別れ際に「中学でバスケをしゆう孫息子が、この春東京の全国大会に出るがよ!追っかけで応援に付いて行くぜぇ」と、目を細めて語ってくれた山本さん。嬉しいですね、ご健闘を祈ります。
トピックス 199号掲載