内職を頑張る私(72才)
227号 北岡 範道 

 当方内職は、確定申告が必要な試験監督や南国企業業務のベトナム語訳等です。
 人との出会いは不思議なものですね。
 当方、数年前カラオケサークルへの加入勧誘電話をもらった。
 間違い電話であったが結果、参加させてもらった。
 カラオケの先生は、NTT高知支店着任時、業務以外の書士会で知っていた方で驚いた。
 昨年末6人目孫(女)が誕生。
 72年前に生まれた当方赤子顔と似ており隔世遺伝に驚いた。
 本年5月に7人目跡取り孫(男)が、当方と同じ「五黄の寅年」で生まれる。
 これも何かの縁なのか。
 皆さんは御存知ですか。
 名付けの親との縁に感謝し、自分の名前に「ありがとう」を唱えると「どんどん幸運に恵まれる」とペルーの百才老人の言です。
 跡取り孫の、名付けが楽しみです。
 当方は、「この世には・・・親子を繋ぐ橋がある」で始まり、「世間には縁という字で結ばれて・・・明日へ架けたい橋がある」妻や子との縁を歌う、北島三郎「橋」の歌詞が大好きです。
 写真は、南ベトナムの屋根付き「ホイアン日本橋」です。
 日本鎖国前の朱印船貿易で、居住の日本人が架けた橋。
 越国紙幣裏絵で、現在観光地です。
 縁というのは不思議です。
 写真は、JA茨木がハノイへ実習生採用に来た際のベトナム若者達との写真。
 内5人は既に採用先が決定済。
 採用先は、なんと高知池川の会社。
 これも縁かと驚いた。
 縁あって2012年ベトナム(以下越国)ハノイで日本語学校立ち上げに参画。
 次年に社長故郷に学校移転。
 移転先はベトナム戦争終結に導いたリーダ「ホーチミン」師の生誕地、ゲイアン省であった。
 サイゴン敗戦時、南ベトナム人をポートピープルとして脱出させ、大使館最後の一人がヘリ救出された事は、後年NHK番組で知っていた。
 2014年知友の紹介で、南ベトナム敗戦後一人残った日本人が、現在、米カルホルニアで、「日米越文化センタ」代表の、村上さんだと紹介された。
 2015年に村上さんが来日。
 情報交換した結果、当方、越国滞在時には、日米越文化センタ「越国担当」として、ボランティアに努める事になった。
 これも当方の人生なのかな。
 労働ビザが切れて帰国。
 縁あって2019年「日本語サロン」開始。
 参加のA君は、ゲイアン省ビン市出身実習生。
 ビン市を知る当方に出会った事で、A君は休まずサロンに参加。
 真剣に学習し7月日本語能力試験N3に、みごと合格。
 幸いA君はコロナ前に帰国。
 ビン市で就職。良かった。
 当方、日越両国のコロナが終息後、越国学校でのZOOM環境を整えに出かけて行く予定。
 日本を目指す越国若者一人一人と「目には見えない心と心の橋(日本語橋)」を架け、両国次世代交流橋へと発展を期待。
 自名に「ありがとう」を唱えながら、ボランティアを努めると、やがて誰かが「日本語教室に部屋を使ってくれ」と申し出てくれる幸運に出会うかもと夢みています。
 越国でのボランティア努めを、継続して行くために、日々内職を頑張っています。
  
 
トピックス 227号掲載