川村 広
(高知市)
第214掲載 |
感想があれば、という連絡がありました。
私は昭和10年生まれで干支でいう乙亥(きのとのい)です。
平成31年1月は歳男になります。
想い出は昭和20年8月、終戦になったとき、日本が戦争に敗れたという事より、明日から勤労奉仕に出なくてよい、ということがとてもうれしかったのです。
少しの期間ではありましたが鍬を持ち鎌を持ち家々の手伝いに行く学校からの勤労奉仕は、小学4年生の子供には、ちょっとだけきつかったのでした。
昭和27年、郵便局員となり郵便配達、電報配達、簡易保険の集金などさせてもらいました。
昭和40年頃になり郵政事業の改革があり、私は日本電信電話公社に転職することになったわけです。
昭和44年私は33才でした。
配属された職場は第一線路宅内課、まったく経験のない新しい仕事場で私は何もできず、それこそ完全な「足手まとい」であったと思います。
が、課長の大野典昭さんをはじめ課内全員が明るく、おだやかに私をささえてくれました。
郵便局で17年、電話局で21年、しめて38年無事仕事をまっとうすることが出来ました。
いま、往時をふり返るとき、心によぎる事はただひとつ「ありがとうございました」の気持ちです。
現役時代の仲間の皆さんはもとより、現在第一線で汗を流し、私たち老人の生活をささえてくださっている皆様に心から感謝します。
さて歳男。
次にめぐってくると私は96才。
これは、かなりの難関だと思いますが、もし、閻魔さんがこの難関を通してくれるなら、私はどこか広い野原に立って、石川丈山作「富士山」を力いっぱい発声しよう。
そんなことを考えたりしています。
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