お元気ですか・タイトル
 (今回は喜寿・米寿の方にお願いしました)
私の三十年
和田 昌寛
(高知市)

第215掲載
 私は、今年87才の誕生日を迎えようとしております
 昭和63年に退職し、新日本自動車電話株式会社(現ドコモの前身)に2年間勤務した後は、ミニ百姓の傍ら親の残した植林の手入れ(枝打ち、間伐)もしました。
 この間伐作業ではいつか、「間伐は他人に頼め」という事を耳にしたことを思い浮かべながら作業していると、その意味が良くわかった事でした。
 又、趣味のゴルフは今も続けております。
 一時は、シングルプレーヤーとしてスコアメイクに励んだ時期もありましたが、高齢化と共に打球の飛距離も低下し、今ではゴルフの真似事にすぎません。
 平成3年には、父が他界した事により遺産相続で相続税の納付に伴う資料作成を業者に依頼すると多額の費用を要することから、これを自分で作成することとし、泥縄式で勉強し、期限内に納税を済ませました。
 又、地域の社会福祉活動にも参加し、民生児童委員も10年余り努めました。
 このところ、3年連続で然も年末になると病気や、怪我のため、病院のお世話になりました。
 その治療痕跡として、血管の閉塞、背骨の金属補強、人工肛門の取付などが残っておりますが、幸いの事にこれらは、日常生活上の支障にはならず、これ迄通り、ミニ百姓を続け又、趣味のゴルフも続けております。
 この状態をいつまで続けられるかは分かりません。これからは、ぼつぼつエンディングノートに手掛けようかと思っています。
「喜寿の方に一言を」に応えて
大西 脩子
(高知市)

第215掲載
 喜寿とは長寿のお祝いの一つ、喜の字の草書体(?)が七十七と読めることからと言う。
 私も洩れることなくその歳となりました。
 白内障の手術後、鏡の中の我が顔に落胆するも思いを愛おしさに変えてスキンケアとします。
 前面が駄目なら後姿はと・・・たまにお流行の服着て背筋を伸ばし街を歩くのも良いかなと思うのですが、これを徘徊と呼ばないで下さい。
 退職して十八年が過ぎました。  憧れの専業主婦になったもののパートナーは他界、老後の生活設計はあっさりと見直しです。
 そんな中での娘家族との同居は若いパワーを貰い刺激のある日々となりました。
 ただ少々の投資は覚悟の上ですが。
 今年は最後の孫娘が成人式、全員県外での生活でおばあちゃんの役割も減りました。
 とは言いながらも寄る年波には勝てません。体力や記憶の衰えをどうしましょう。
 週三回のジム通いで筋トレ。
 日課である二匹の愛犬との散歩や庭いじりで体力効果を期待するところです。
 さて脳トレはと言いますと、SNSでの情報キャッチや投稿です。
 何より良いことに気の合う仲間とのお喋りはお互い老化進行のチェックとなります。
 ただアルコール等が入りますと声がだんだんと高くなったりお店のタイムオーバーとなってしまいますので特に要注意です。
 穏やかな日々を過ごせる大切なことに地域の方々との関わりがあります。
 現役時代の疎遠を取り戻すため町内会活動の仲間入りです。
 新聞バッグ製作からスタートした集まりは熱意のある仲間の力で市労連の地域交流ミニデイへと広がり趣味の講座や健康づくり、ボランティアとたくさんの仲間と遊んでおります。
 この先、徘徊老人となっても少し安心かな・・・・
 今年は私達が頑張った昭和、平成の時代に幕が下ります。人生100年時代と言われる中、覚悟を持って新時代を迎えたいと思うこの頃です。
 電友会の皆様のますますの健康と幸せな日々を願っております。
はや米寿
山本 襄児
(高知市)

第215掲載
 今年は、私にとって米寿だと聞かされた。
 「ああ、もうそんな年齢になったのか!?」という思いにかられている。
 思い起こせば、3年程前の2月、高校教師だった長女が、大腸ガンの「第4ステージ」で手術しなければならないという晴天のへきれきのような知らせを受けた。
 主治医にCT写真を説明してもらったが、既にあちこちに転移していた。
 昔の結核の白黒写真とちがって、カラーではっきり写るので素人でもよくわかった。
 続いて「治療の手順」のとおり、抗ガン剤の投与が始まった。
 初めのうちは治療の効果がよく現れ順調だった。
 やがて効果がなくなり、副作用が現れだして、素人の我々にも寿命が縮まっていくのが、ひしひしと感じられた。
 「女性の大腸ガン第四ステージの余命は2年」とか耳にしていたが、昨年2月18日、満48歳で旅立っていった。
 残された3人の孫の行く末を思い、あと5年ないし10年長生きしたいものだと思っている。
 私の家は、長寿の家系と言えるそうで、私の父は40年程前73歳で亡くなったが、当時の男の平均寿命は73才プラスαであった。
 父の姉は102才(満)、母は98才(満)で数えでは100才だと威張っていた。
 人生100年時代といわれている昨今「私があと10年生きて98才になっても不思議ではない」と思うが、どうなることだろう・・・。

信州で龍馬に逢った!?
田岡 隆範
(長野県)

第215掲載
 移り来て3年、広い信州、「道の駅巡り」を楽しんでます。
 その一つ、東信にある「雷電とクルミの里」の一角にある雷電室に入ってみた。
 そこに佐久間象山が書いた雷電碑に並んで写真があり、よく見ると四十三人のそうそうたる勤王志士の集合写真だ。
 いやー驚いた!土佐で見る感じと全然違う。
 土佐では龍馬だけに目がいっていたが、この地でこの写真を見ると維新という大きな歴史をあらためて感じた。
 今更反省でもないが高知では大海を目にしていながら大海を見ていなかったと・・・ 
 しかし少し調べてみると、この写真は「フルベッキ写真」と呼ばれているもので、オランダの宣教師フルベッキと佐賀の塾生たちとの集合写真で志士の集合写真ではなく、歴史的資料として認められてないものらしいことが判りました。
 残念なような、ホットしたようなそんな気にさせる写真でした。
 また、面白いもの、珍しいものを見つけたら紹介します。

ルベッキ写真
後列中央黒衣装が西郷隆盛、
前列右から4人目が坂本龍馬ということになっている。
「線路会」で楽しく
黒岩 泰秀
(いの町)

第215掲載
 皆様お元気ですか。
 私も年相応に元気にしています。
 早いもので退職後20年が経過しました。
 おかげさまで良き同僚、仲間などの誘いもあって現在も電柱関係の仕事をマイペースで続けています。
 仕事が無い時は女房の運転手をするか、家でダラダラと暇を持て余すしかありません。
 これといった趣味も持っていないので仕方がありません。
 私にとって仕事があることはありがたいことです。
 手間・暇タップリかけて仕事にのぞんでいます。
 退職後、今まで続いていることに、線路系の仲間の呑み会「線路会」があります。
 先輩OBに強制的にメンバーに入会させられ、途中2〜3年の休養期間を除き、ほぼ毎月出席してきました。
 7〜8名の集まりで、酒を飲み、互いの近況で話が盛り上がっていつも気分良く帰ることができます。
 最近新メンバーの加入もあって会に元気が出ているような気がします。
 私も今まで以上に健康に気を配りながら、無理せず楽しく過ごせるよう心掛けていきたいと思います。
「お元気ですか」
山下 福恵
(室戸市)

第215掲載
 この頃よく目にする、「超長寿時代を迎えた日本」とか「シニアの活力」とか高齢社会に突き進んでいる我々に向かっての文字に踊らされ、地域の観光、活性化に少しでも役に立てばと女性団体のボランティア活動、仕事にと一ケ月があっという間に過ぎてしまう今日この頃ですが、ほっとした時間が取れたとき、NTTの仲間の皆様に支えていただきながら、長いながい仕事人生においての経験、体験が役に立っていることの有難さをつくづく感じています。
 人生100年時代とも言われ、現役力を自分で守りながらも、老いという、どうしようもない坂道を自分なりにゆるやかにするのも好し、と言い聞かせながら本日も「おはようございます」と若い職員の方々との挨拶で一日が始まります。
喜 寿
森  敏
(いの町)

第215掲載
 ボーッと生きていたらいつの間にか喜寿を迎える年齢になっていた。
 喜寿とは数え年で七七才、長寿祝いの色は紫らしい。
 日本人男性の平均寿命は八〇・七五才(平成二七年)とのこと。
 最も信頼のおける厚労省の統計だから間違いはないであろう。
 目下の目標は男性の平均寿命まで健康に生活をして行く事です。
 欲を言えば孫達が成人式を迎える頃まで元気でいたいと思っています(当方八六才)
 その為には運動や食事が大切で、良い生活習慣を継続したいものです。
 チコちゃんに叱られない様に頑張って行こうと思います。
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