お元気ですか・タイトル
 
小谷 清隆
(香南市)

第223掲載

『元気です』
 ご無沙汰しております。
 皆様いかがお過ごしでしょうか、早いもので退社して五年になります。
 最初の二年位は本ばかり読んでいました、それでも余り退屈しない自分に驚いたりもしました。
 その内先輩の誘いもあり月一回ボウリングをはじめました、今は奥様の手伝いと、一年前から用務員のパートを始めました。
 今はコロナ禍ですが、飲み会が減ったぐらいで田舎の暮らしぶりは何も変わりません。
 変わったと言えば車を買い替えた位です。

近藤 強
(高知市)

第223掲載
『チワワとともに』
 数え年で古希を迎えることで原稿依頼をいただきました。
 前期高齢者になった時は、市役所から送られてきた長寿手帳を腹立たしく思いましたが、年々弱ってくる足腰、膝痛に気持ちと裏腹の肉体の衰えを認識せざるを得ないこの頃です。
 人工透析七年目となる妻も、段々介護が必要な状況になりつつあり、このままでは老々介護に陥るのではと心配しております。
 透析患者は認知症の進行が早くなると言われている事から、認知症予防にと室内犬(チワワ)を飼いだして一年余り、世話も金もかかりますが、私たちにとっては孫よりかけがえのない存在となってきております。
高橋 慶子
(宿毛市)

第223掲載
『「古希」の原稿依頼』
 年を重ねて今、私は68歳。
 「古希」という節目を迎えました。
 ここ2〜3年、体調を崩し、しんどい思いや周りの人に迷惑・心配をかけ、助けてもらいの現在です。
 慣習・風習とかに拘ることはないと思いながらも教訓的に捉え、大事にしたい。
 幾度かの厄年も無事(?)にくぐりねけ、これからは「長寿祝」が並んでいます。有り難い。
 強靭な身体は持ち合わせていないけれど、ここまでこれたのだから、すごいことです。
 これからのかけがえのない日々を大切に楽しく過ごしたいものです。

高橋 理恵
(須崎市)

第223掲載
『今日この頃』
 コロナ、コロナで明け暮れた一年があっと言う間に過ぎ、早くも次の春が巡って来ました。
 年金生活者は世の自粛モードには順応が早く、日課の安和海岸旧道沿いウオーキング、亡母の家じまい、我家の断捨離、ガーデニング等、ひきこもり生活もそれなりに忙しく楽しんでおりました。
 が、しかし、やはり、友人達との会食、旅行、飲み会後カラオケでの六甲おろしの大合唱を心おきなく謳歌できる日々が一日でも早く来て欲しいと切に願う古希に向う私の今日この頃です。
南 陽一
(香南市)

第223掲載

『「きょうよう」と「きょういく」が大事』
 古希を迎えたじいさんの一日は、「茂美路」(もみじ 雄猫十歳)との散歩と一時間弱のストレッチで始まり、午後はおやつに仏壇のお菓子を食べて、妻に怒られて終わります。
 しかし、ある大学の先生から、年寄りには「きょうよう」と「きょういく」が大事だという話を聞いたので、コロナが終息したら、
 きょうよう・・・今日、用がある
 きょういく・・・今日、行くところがある
 を心掛けて、退屈しない日々を送りたいと思っています。
森岡 義尚
(高知市)

第223掲載
『初孫に会いたい』
 退職後は一人実家に帰り両親・義母の世話をしていましたが、三人とも亡くなり、又、私自身心筋梗塞で入院したりと、いろいろありましたが、今は妻が仕事に行った後は洗濯、買物、食事の準備、ごみ出し等私の仕事になっています。(笑)
 病院にも2か月ごとに通院しています。
 昨年初孫が生まれたのですが、大阪に在住しており、コロナの影響で会えません。
 早くコロナが収束し、孫に会えるのが楽しみです。
 皆様も健康には十分気を付けて下さい。
石原 靖世
(高知市)

第223掲載

『コロナ禍』
 3回ソフトボールの練習、週2回百歳体操のインストラクター等を行っております。
 町内会活動を17年、公民館活動を約10年、今も現役でなかなか止めらしてくれません。
 昨年は、コロナ禍のなか各種イベントがひらけず、ゆっくりさしていただきましたが、年1回の北海道のスキー旅行も行けず、飲み会もなく穴熊同様、巣籠り生活を強いられております。
 楽しみは風呂上りのビールと日本酒、焼酎、ウイスキーの日替わりの晩酌と「麒麟が来る」(2月7日本能寺の変でお終い)でした。
 早くコロナが収束し、皆と思いっ切り飲んで、語り、カラオケが楽しめる日を待ち望んでおります。
岡村 剛
(高知市)

第223掲載
『傘寿』
 私は七十九歳です。
 七十歳位から、どうにか健康で長生きできたことに感謝しています。
 日本は、万葉時代の頃から「言霊(ことだま)の幸(さき)ふ国と語り継(つな)ぎ言いつがいけり」という言い伝えがあり、言霊の霊妙(れいみょう)な働きによって幸福をもたらす国と言われてきました。
 言霊の霊妙な働きとは、私の体験では動植物に、愛と真(まこと)で語りかけると、直接相手の心に伝わることだと思います。
 対立すれば、人間と動物、人間と植物の間は伝わらなくなる。
 対立とは愛と真以外の言葉でいくら話しかけても通じない。
 私は人と動物・植物が自然の一部という認識から愛と真で呼びかけることで、言霊として動物や植物に伝えることができたかなと思います。
 作業中の畑に、動物が私を見に来る?
 去年の五月頃と九月頃、視線を感じて振り向くと、私から傾後方二mくらいの処にタヌキさんが、私を見てたので「来ちゅうかえ」と言霊をかけ、作業を継続しました。
 九月頃、音もなしに、眼前に鳶さんより太くて群れのボスではないかと思う目力(めじから)の強い、灰色が強いカラスさんが、私の正面一m位に降りてきて、小刻みに足を運びながら、チラチラと鋭い目差しで、方向を変えて、私を見ていたので、「よう来た。ゆっくりして行きや」と言霊をかけ、作業方向を変えて二分もせぬ後、元居た処には居ませんでした。
 今まで見たこともない体型の立派な羽をもった、美しい、威圧感のある烏さんでした。
 後日友人にカラスさんの話をしたら「そりゃー八咫(やた)烏(がらす)じゃーないかえー・・・あの神武天皇の」・・・まさか恐れ多い・・・
 畑の作物の動物による食害は十年位前からありません。
杉本 良子
(本山町)

第223掲載
『同級生』
 紅梅に群がるメジロに春を感じていたのに、今日2/17は朝から雪が舞って寒い一日でした。
 県外に居るH君は「今年はコロナで帰らんよ」とрくれた。
 毎年彼の帰郷に合わせて、同級生数人と集りをしていたのに残念。
 Y君は夕方葉ワサビを届けてくれた。
 毎年ありがとう。
 切って熱湯をかけて味付けすると辛くておいしい。
 80才近くになっても同級生達と行き来が出来て幸せです。

高島 光生
(南国市)

第223掲載
『ある出来事』
 令和二年は、コロナで始まりコロナで終わった一年でした。
 この時期の十一月に私の家庭である出来事が起こりました。
 それは、私は元気そのものですが、妻が乳がんの告知を受け、家族一同、病名が病名だけにビックリし頭が真白になり大きなショックを受けました。
 一週間後、医療センターで自ら決断した「乳房切除」の手術をしました。
 手術所要時間約二時間、手術は成功(ドクター談)。
 術後は経過良好で九日目に退院することができました。
 退院後は、元気で普通の生活を送っていますが、経過観察の必要性から向こう五年間は、三か月に一回通院しなければなりません。
 いかに健康が大事かひしひしと思い知らされました。
 妻とは二〇年以上夜は、ソーシャルディスタンスをとっており、乳房の「しこり」を見つけることができず後悔しております。
 特に乳がんのしこりの早期発見には、定期検診はもちろんですが「夫婦は一のベッド又は一の布団」で寝起きを共にすれば可能性はあると考えられます(内容は想像して下さい)ので、ディスタンスをとっている方には、この方法をご提案いたします。
 コロナが令和三年も続いていますが、一日も早い収束を願いつつ会員の皆様が健康でありますように!

武田 洋一
(高知市)

第223掲載
『傘寿のボヤキ』
 早傘寿とはびっくりです。
 電電公社入社時には「60才歳で定年退職し、後は恩給でのんびり隠居暮らし。
 そして70才までにあの世へ行く」という人生設計をしていたのに、現実はそうならず55才で定年退職させられ、業界で5年間働いた。
 これは当初計画と同じ60才退職ではあるが。
 しかし、楽隠居とはならず、親が残した家・畑・山の世話をするために週1回程度田舎へ帰って、草引き等に汗を流したり、ボランティア活動や地区の役員をしたりしているうちに何と80才になってしまった。
 通信局勤務時代に本社で半年間の訓練を受けた時の夏休みに、まだ幼稚園だった2人の子供達に東京見物をさせた時に「一生縁のない大学だから見せてやろう」と東大の正門・赤門をくぐり、校内を見学させ証拠写真も写したが、なんのことはない、2人とも東大ではないが東京の大学へ進学し、東京に本社が在る企業に就職し、東京の相手と結婚し、家も持った。高知へ帰る気はなく、孫達も小さい頃は時々帰って(孫達からみれば高知へ行くだが)いたが、今は仕事や部活の関係で全然帰ってこない。
 子供や孫達に囲まれての隠居生活の夢は破れたまま80才になった。
 本当に人生は設計どおりにはならないが、愚痴を言ってもいけないので、地域の防災委員や、高校の同窓会の幹事をしてのお節介を後何年か頑張ってみよう。
 コロナもだいぶ下火になってきたようだが、ワクチン接種を受けてもう少し長生きするぞ。
 皆さんもお元気で長生きしましょう。
宮川 捷二
(高知市)

第223掲載
『カフェにおこしください』
 退職して早二〇年、七九才になりました。
 今私は、平成二四年に廿代町でオープンしたカフェ(オーガスタ)のマスターをしています。
 退職後さして大きな病気もせず、そこそこ元気に過しています。
 店では馴染みのお客様がホッと一息、お茶と会話を楽しんで頂けるカフェとして、奥さんと二人ボケ防止と実益?を兼ねた仕事をしています。
 今コロナの時代になって一年、緊急事態宣言が出て、旅行・会食など制限されて何かと不自由な生活ですが、まだまだコロナの収束の気配は見られません。
 皆さんコロナにかからないよう十分気を付けましょう。

 カフェのマスターをしています。
 宮川 捷二(H九退)

田岡 隆範
(長野県)

第223掲載
『雪の信州から新年のご挨拶』
 遠く離れた信州信濃の地で、突然の痛い入院生活二週間、その間ラジオが友達となり、そのラジオからなんと高知に係わる話題を四件とその他に二件の高知にまつわることがあった。
 その一、薬学者永井長吉が竜馬に合ってた、
 その二、日高の小杉神社大祭が行われた、
 その三、芸西地区で元新聞記者さんの地域起こし、
 その四、宿毛で鳥インフルエンザ、
 その五はラジオでなく入院した初日に病院の小さな売店で、見るともなく小さな本棚に目が行った先に「なんちゃあない話」の背表紙、幡多出身の漫画家安部夜郎、なんじゃ?、パラパラと読んでみたらこれが面白い、購入してベッドの友に。
 続き六、退院の日自宅で何気なく広げた新聞の番組欄、ありゃ!日本の祭り“潮ばかり”、よく観ると野見湾じゃか、昔バイクで独りツーリングを楽しんでた折“何?この海の笹竹は?を思い出して、ああ!もお一度行ってみたいと郷愁にかられてしもうた。
 痛い病名は「リウマチ性多発筋痛症」
 年明けて発症から一か月半、午前中は握力含め身体の筋力が弱ってるのと、肩・上腕・手首の痛みと親指の屈曲痛があり、午後になるとなんとか日常生活に、回復するにはステロイドの服用で数か月ないし数年かかるかもとのこと。
   多くの高齢者が罹患するとのことです、皆様のご健勝を祈念します。
 新形コロナは変異種も出ております、決して侮らないように気をつけましょう。
 令和三年新春正月
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