高知市から国道55号を東へ1時間半余、室戸市街中心地の手前に吉良川町はあります。国道沿いに「国指定重要伝統的建造物群保存地区」の標柱が立ち、旧土佐街道沿い一帯に白壁造りの見事な日本建築が並んでいます。今日の主役角田佳資(つのだよしすけ) さん (82才) が瑞代夫人とともに営む田舎生活体験施設「和の宿角屋(かどや)」は、この町並みの中に溶け込んでありました。
角田さんは昭和26年4月、電気通信省時代の室戸局に入社しました。同46年には高知へ転勤し、高知局・通信部・支社等で、主として庶務・資材などの共通部門で事業第一線を支えてきました。想い出をお聞きすると、思わず耳を傾けるお話が次々飛び出してきて特集号が発刊できそうですが、ここでは一つだけご紹介します。
高知県中山間部に大きな被害をもたらした昭和50年の5号台風。交換所が流失するなどの大被害を受けたため、六百人もの応援部隊が駆け付けてくれ、その弁当を手配するだけでも大変。
また地域の被害が特に大きかった吾北局には数十名の住民も避難しているので知らぬ顔はできない。「高知市内でトラック2台分かき集めた食料などを、復旧資材運搬用ヘリコプターに積み込んで運んだがよ」。角田さんは5日間会社に泊まり込み。入明町の自宅では奥さんが、床上浸水を避けるため冷蔵庫を2階に避難させていた。「苦労が想い出になってるねえ」と、お二人で懐かしんでくれました。
会社生活を終えて平成11年に生まれ育った吉良川へ戻ると、周囲が放っておいてくれない。ご夫妻とも「やっと戻って釆たから、お役に立ちたいと思うたねえ」と口を揃える。
平成9年の保存地区指定を機に増加してきた観光客のガイド役に「そりゃ一角田さんが適任じゃ」と引っ張り出された。やる限りは中途半端なことでは納得できない角田さんは、勉強に次ぐ勉強。吉良川の町並みの特徴はなんといっても水切りの施された土佐漆喰の白壁造り。白壁の説明をするために、漆喰製造工場にまで通いつめるなどして建築の知識を身につけた。ある日、建物について説明を終えたお客さんに「貴」万は建築の専門家ですか?」と尋ねられたが、差し出された名刺にはなんと一級建築士と記されていたそうです。
角田さんが「角屋」を始めたのは昨年の8月下旬のこと。記者が訪問したのは偶然にも開業1周年の日。一週間逗留された県外からのお客様に、自作の一升八合の新米を記念のお土産にと、送り出した直後。次のお客様に備え、ご夫妻で寝具洗濯や部屋の掃除にと大忙しの真っ最中の取材となりました。
「ネットで民宿などの感想を読むと料理の印象が多いけれど、うちは食事を提供できないのでせめてもと掃除に力を入れている。掃除当番は私、『掃除が行き届いていて気持ち良かった』などとブログに書いてくれることもあり、嬉しい」と、口髭をたくわえたダンディーな顔で笑ってくれました。
3〜4年前に故人となられたお兄さんご夫妻が住まわれていた生家は、角田さんの実父が昭和初期に建てたという池のある立派な日本建築。
京の町屋のように奥深い敷地に、母屋・離れ・中庭・土蔵と並んでいる。広々とした客間を拝見すると、透かし彫の欄間、絵柄入りばかしガラスが飲め込まれた雪見障子、長押と天井の中間にもう一つの付け長押など、「三千円で出来たがじゃと」と言われるが、当時の贅を尽くした建築であろう。
角田さんは近所の別の建物に住んでいたため立派な生家は暫く空屋に。「このまま朽ち果てさせるのは忍びない」と常々思っていたところ、「この建物を活かさんと勿体ない」「吉良川の旅館が全部廃業して泊まる所が無くなったきなんとかならんろうか」との、保存地区選定に関わった先生や、県・市の文化財関係者などの熱心な勧めに押され宿泊施設として観光客に開放することを決めました。
兄夫妻の残した家財の整理や畳の入れ替え、役所への届け出などの準備を行ってオープンに漕ぎつけたが、これには家族の協力が不可欠。
奥様の瑞代さんは、「最初に話を聞いた時には驚いたが、男の人の夢は仕方ない」と全面協力してくれました。
近頃はネット予約のお客様が約八割に上るそうですが、「一般予約を受けたらダブらんようにネットへFAX連絡せんといかん。
他にもいろいろ気を使わんといかんことがあって、二人でやっと一人前です。」と、奥様が明るく笑います。
ところでこの宿のお食事は民宿・旅館と違い自炊が基本。
田舎生活体験を謳っているとおり、羽釜を使っての炊飯や、土佐備長炭を使ったバーベキューで地元産のナガレコを楽しむなど、手作りの癒しをお世話しています。
これには「子育て時代に打ち込んだボーイスカウトの世話役経験がつながっている」と角田さんが振り返り、「お釜の蓋を取ると、ふっくらと盛り上がって炊きあがったご飯を見て、お客様は大喜び」と奥様も目を細めます。
「角屋」は母屋・離れに各々一組限りのお客様と決めている。
幼児を連れた家族の利用も多いが、どんなにはしゃいでも他のお客様に気を使う必要が無いので、親子とも芯から寛いで貰える。
また、父母と小学生3名のご家族に、和室2部屋を繋いで5組の夜具を並べてやると、「自分一人の布団で寝るのは初めて!」と、子供さん達が随分喜んでくれた。
「一人前に扱って貰って嬉しかったんでしょうね」と、これも奥様がお話してくれた。「おばあちゃんの家に釆たみたい」と言ってくれる子供も。
お客様に出会いの想い出にと綴っていただく想い出BOOKを覗かせていただくと、横文字で善かれたページ (記者は読めない)が目に飛び込んできた。つくば大学で教授をしていた外人さんは既にリピーターだそうだ。
「どんなホテルよりも素敵でした。ご夫婦の温かいお心遣い大変感謝しております。
ご主人はとてもダンディーでらっしゃって、奥様はたいへん上品でやさしい方です。・・どこか懐かしく優しい気持ちにさせてくれるそんなお宿です。」 これは8月に泊まった若いご夫妻の書き込みで、記者の印象と全く同じ。
年齢を感じさせない元気な角田さんは「八十年のお返しをしていこうかね」と意気軒高でした。
話は尽きませんが、益々お元気で「ピッカピカに掃除の行き届いたお部屋」 で「土佐のおもてなし」をいつまでも続けていってほしいと念じながら、吉良川町を後にしました。 |