テレビ・携帯電話を持ちだす迄もなく、現在の世の中は切り離して考えられないほど電波=無線通信に支えられています。それだけに電波の正常な利用を妨げる事象が発生すれば市民生活や経済活動が脅かされることになります。
今回の主役田中一郎さん(66)は、趣味を活かして電波の利用環境を守る活動を続けています。
訪問したのは国道33号線から急坂の林道を高低差100m近く駆けあがった山頂近くにある山荘。見晴らしの良い、まるで男の子達誰もが憧れた秘密基地のような隠れ家でした。◎NTTでの四十年余
田中さんは昭和40年入社、今治電報電話局機械課で会社生活をスタートしました。「試験台での研修中『知っちゅう、やっちゅう』と土佐弁丸出しで対応していると、後刻顔を合わせた線路課の先輩に『チユウチエウ言っているのはお前か?』 とからかわれた」
というエピソードは、同様の覚えのある皆さんも多いのではないでしょうか。
須崎電報電話局へ転勤後は、共電式〜クロスバ交換機の改式〜電子交換機の建設や保守と、三世代の交換機に関わり、その後もNWセンタや管理機関に勤務、再編後は法人営業部門で市町村向けの各種システム提案や建設監理など幅広い業務に携わり平成19年退職しました。
◎第二の職場で憧れの無線現場に
再就職した大手情報通信工事会社で「憧れ?であった」無線建設現場や光伝送関係の仕事に従事しました。主に香川県と高知県内の携帯電話基地局新設現場や山上中継所、各交換局現場を安全専任者として安全指導パトロールする傍ら、一ケ月断酒し記憶力の衰えと闘って「NTT検査員資格」を取得して検査業務も行っていました。
迎えざる客として抜き打ちで無線現場へ入りますので、「当初は請負会社や作業員との対応に幾多の苦労もありました」と振り返ります。
ところで「何故憧れだったのですか?」と伺うと、「中学時代から女性よりも無線に興味があり、高校も電気通信科のある工業高校を選択し部活も電気通信クラブで無線やラジオ・テレビの組み立てに熱中、電電公社就職後も秘かに無線関係の仕事に憧れを持っていた」そうで、NWセンタでは企画等で、退職後やっと別会社で実現は出来たが、隣の芝生は‥‥を実感し、今は十分納得されたそうです。 eメールアカウントもコールサインJA5FTMのコールサイン、車のナンバーは73・88無線で通信後付ける、さようならの略称、男性には73女性に対してラブキッス88を送りますとの説明を受け無線好きが良く理解出来ました。取材で伺ったこの山荘もクリアーな交信を主目的に建てたそうで、田中さんだけでなく奥さん・息子さんと3人分の無線免許証が掲示されており、家族ぐるみの無線一家の様相です。
◎ボランティア活動で電波を守る
田中さんは仕事を続ける一方で、平成19年から総務省総合通信局長から委嘱を受け「電波適正私用推進員」としてボランティアで電波監視活動に取り組んで来ました。国と民間が一体となって推進し、不法・違法無線局を無くし電波利用環境をさらに改善しようとするもので、地域に密着した活動が欠かせません。
@地域の人達に電波利用保護の必要性・電波の適正利用に関する周知啓発活動。 A混信等の相談の受付と適切な窓口の紹介
B総務省の行う電波監視活動のために必要な各種協力。これらが主な活動ですが、平成23年にはさらに特別電波利用推進員の委嘱を受け混信・妨害電波源などの調査を行っており「刑事の様に二人一組になって、不法電波源のダンプを追跡することも有るんですよ」と語るように、時には緊張の場面もあるようです。
推進員は電波適正利用推進協議会に組織化されており、田中さんは高知県の会長を務めています。その活動の一環として先日は、南国市教育研究所や高知東工業高校の協力も得て準備し、小中学生対象の電波教室を開きました。 当日は南国市各校から24名の小中学生が参加、組み立て補助員として東工業高の生徒達6名にも加わり、電波とは?ラジオはどのように聞こえるか?ハンダゴテの使い方等を事前学習後に、実際にラジオの組み立てに入りました。
「ハンダゴテを持つのは全員初めてで、当初は恐る恐る持っていた手も慣れてくると、目の見えない叔父さん達より器用にハンダを盛っていました。3時間後スピーカーから音が出た時、子供達が『先生鳴ったよ!』と駆け寄って釆てきて此方も感激。キットもAM/FM付のICラジオで良く鳴り、参加された生徒達や付き添いのお爺ちゃんやお母さんも一緒に喜んで頂き、子供達の熱心さと喜びに心地よい電波教室開催でした。」と、満足そうに振り返りました。
後援下さった東工業高校長先生が「今日学んだ事をきっかけに将来工業高校へ進み、高知県を背負って立つ電気技術者にぜひチャレンジして下さい」と挨拶で陳べられことに、田中さんも同様の思いでした。このような電波教室はその後高知市等でも開催しており、防災イベント会場等で不法電波防止の推進活動もしているそうです。
◎「くろがねの会」 で佐川を売り出す
田中さんの地元佐川町は文教の町として知られており、貴重な文化財を守り売り出し地域活性化を図ろうとNPO法人「佐川くろがねの会」が活動しており、田中さんも理事として参画しています。国指定重要文化財竹村家住宅(司牡丹の前身くろがね屋)、春はお雛様まつりや花見のイベント、夏は酒蔵ロード劇場(影絵を各所にある酒蔵の白壁に投影する祭りで毎年2000名の観光客)秋はコンサートや研修旅行、歴史勉強会、冬はクリスマス会やイルミネーション点灯等各種イベント準備と大忙し。「自分達で楽しむ事になりません」と、少し残念そう。団体客の求めで、町内の観光ガイドも交代で行っています。
先日はブラジル移民の父と称される水野龍や植物学者牧野富太郎博士、龍馬の使い走りだったが宮内大臣まで上り詰めた田中光顕ら多数の志士を門下生に持ち、文教の町佐川の基礎となった「伊藤蘭林先生顕彰の砕」を、同じくNTTOBの田村県議や有志で建立し、除幕式を行いました。
「京都のように四季を通じて楽しめる奥の土居や土佐二大庭園のある良いお寺もあり、青山文庫には江戸・明治時代の本物の貴重な物が沢山あります。美味しいうなぎ料理や司牡丹の清酒も購入出来ます。OBの皆様もぜひ佐川町へお越し頂き、江戸時代から明治初期にタイムスリップして歴史にふれて頂きたい」と、佐川へ誘ってくれています。
第二の就職先も昨春退職された田中さん。二十年振りに県展写真の部に出展し入選するなど、在職時より自分の時間が増えたということで、今後ますます社会貢献活動での活躍が期待されます。 |